イラストレーター中村佑介さんを変えた大きな“挫折” | 神戸新聞NEXT


中村:タワーレコードやHMVに行くと、アジカンのCDは面出しされていたし、レコード会社のKi/oon Music(当時はKi/oon Records)もポスターとか特典をつけてビジュアル面も重視して展開をしてくれていたから、それを見て、「これでいいんだ」って自信が出てきたかな。1stアルバムまではどのジャケットにも、エレキギターをはじめとした楽器が記号的に入ってると思う。これは「ロックバンドのCDですよ」っていうのを、その当時は絵柄だけではまだ伝えられなかった。(ギターや楽器を)描かなくてもよくなったのは2ndアルバム以降かな。


アジカンのCDジャケットのイラストを書いているのは誰ですか?また

中村:何かを意図したわけじゃなく、音を聴いたままのイメージで迷いながら色々入れていった。今回の原画展にも展示してあるように、顔をホワイトで塗り潰してる部分は修正した後だし、背景は元々はベージュだったけど、その後白になってる。それまで、風景やアーティストの似顔絵ジャケットはあっても、あそこまでコミック文化に影響を受けたイラストが、アニメに関連してるわけでもなく、ロックのジャケットを飾るというのが今までになかったことなのは自分でも分かってたから、このままイラストを載せると「ロックバンドのCDとしてはダサいんじゃないかな?」っていうのは常に考えてたね。手に取る人達が恥ずかしくならないような、お父さんやお母さん達から子供向けの音楽に見られないようなものにはしてあげたいなと思ってた。でも迷ってるから、背景に説明的にギターとか描いてあるし、当時の絵を今自分で見たら、自信がなかったんだなって思うね。

中村:ないない(笑)アジカン自体も本格的に日本語で歌詞を書こうとしたのがデビューミニアルバムの『崩壊アンプリファー』からだから、僕もゴッチに「どういうものが表現したいの?」ってよく聞いてた。みんながイメージするほど、ゴッチも戦略的には考えてなくって、歌詞のことを聞いても「なんかよく分かんない」とか、狙ってるわけではなかった。ロックミュージックの音でどうやったら日本語を違和感なく聴かせられるかを主に考えていただけであって、みんなが言う文学性は、“パッと聴きでは分からないけど、歌詞を見たら理解できる”という抽象的な部分が結果的にそう捉えられたのだと思う。だから僕も当時「どうやってジャケット書いたらいいんだろう」と迷ってた。

グラニフとのコラボレーションアイテムを展開する中村佑介のイラストとグラニフのロゴ

ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)」のCDジャケットや作家森見登美彦さんの書籍の装丁などで知られるイラストレーター中村佑介さんの活動20周年を記念した展覧会が、大阪・あべのハルカス24階にある大阪芸術大学スカイキャンパスで開かれている。名実ともに日本で最も活躍するイラストレーターのひとりである中村さんだが、東京オリンピック関連の仕事が全く「来なかった」ことに大きなショックを受けたという。「集団行動が苦手」という自身の半生や、デビュー以来変わらず続くアジカンとの“仕事”を超えた関係性、そして東京オリンピックに対する複雑な思いなどについて、飾らない言葉で語ってくれたインタビューをお届けする。

展覧会は、中村さんの20年にわたる仕事がほぼ全て一堂に会するという大規模な試み。完成イラストはもちろん、着色前の線画やアイデアスケッチ、学生時代の作品なども展示されており、中村さんが生み出してきた世界の魅力にどっぷり浸ることができる。

■「集団行動が苦手だった」

会場入り口の挨拶文で、中村さんは「教室にいる『みんな』という輪に入れなかった」「誰も話しかけてくれなかったらどうしようと恐れて成人式に行かなかったことを今も後悔している」と書いている。曰く、「あまり自分で意識していませんでしたが、こうして20年分集めてみて、ほとんどの絵の人物が一人でいるのは、僕のそんな人生を自分で肯定したかったからなのだと思います。でも描いても描いてもダメでした。自分を認めることはできませんでした」-。

まずはその真意についてうかがってみた。

「集団行動…例えば修学旅行や体育祭、音楽会みたいな『人と一緒に何かをやる』のが昔から本当に苦手で。クラスの文集を作るときなんかも、僕はみんなの似顔絵を描くからほっといてくれ、という感じでした。大学(大阪芸大)でもそうでしたね。みんなが遊んでいる間も、1人でずっと絵の勉強をしていました。だから正直、自分がプロになれることはわかっていたんですよ。だって人間関係を棒に振ってまで、人生の全てをイラストに費やしてきたわけですから」

「そんな風に、みんなが集まって楽しそうにしていることをある意味で否定するために絵を描いてきました。そしたら、間違いなく声が掛かるだろうと思っていたオリンピックの仕事が1件も来なかった。画集が売れていて(累計13万部)、知名度もある。正直、今の日本で代表的なイラストレーターといえば僕の名前が挙がると思うんです。でも、自分の協調性のなさみたいなものが足枷となり、人と何かを“共有”する喜びみたいなものを描けていなかったという課題に気づかされました。すごく落胆しましたが、『私に構わないでくれ』みたいに横を向いた人間が1人だけ描かれているような僕の絵は、そりゃオリンピックにふさわしくないよな、と納得もしました」

オリンピックが大嫌いで、これまで自発的に見たことがなかったという中村さん。「1人で自分の世界を追求する」という自身の作風には限界があると感じるようになり、以来、絵の躍動感や、「みんなが思う協調性や喜び」を意識して表現に取り入れるようになったという。すると2022年の大阪国際女子マラソンの仕事が舞い込んだ。

「ああ、やっぱりそういうことかと。もう少し早く気づけていれば、ここからオリンピックにもつながっていたはずなのに。でも、もうおそらく僕が生きている間に日本でオリンピックはないでしょう。成人式だけじゃない。人生全部、後悔だらけです(笑)」

「僕はイラストレーターとしては“エリート”ですが、人間としては全然ダメで。人から嫌われることなんて心からどうでもいいと思っていて、44歳になった今もその場の空気が悪くなることを平気で言ってしまう。マインドが小学校3、4年くらいで止まっているんですね。僕の作品の魅力って、そういう子供みたいな感性と、脇目も振らず黙々と積み重ねてきた高いイラスト技術のアンバランスさだと思うんです。だから、人間として成長すると、逆に絵が面白くなくなるかもしれない。でもオリンピックの仕事が来なかったことで、せめて人を嫌な気分にさせないくらいには成長したいと思うようになりました。僕という人間は多分、88歳くらいでようやく完成するような気がしています」

■トレパク問題に意見を表明する理由

この「作品が愛されてさえいれば嫌われても構わない」「空気を読まず、言いたいことを言う」という“中村佑介らしさ”が垣間見られるのが、イラスト業界を度々騒がせる盗作やパロディ問題に対するSNSなどでの発信だ。中村さんは、こうした問題にプロのクリエイターとしてストレートに意見を表明する、ほとんど例外的な存在と言える。

「他のイラストレーターがトレパク(トレース、パクリ)を表立って指摘できないのは、クライアントとの関係性があるからです。イラストレーターの仕事はクライアントとの結びつきでできているので、トレパクをしたイラストレーターを非難したら、そのクライアントまで非難することになってしまう。怖いんですよ。だから、トレパクがなぜ良くないのかを正面から説明できないんです」

「でも僕の場合、クライアントにとって『中村佑介を使わない』という手はありませんから。人並みの人生を棒に振ってまでイラストに賭けてきた僕の作品が、それだけ求められているという自負もあります。だから僕はしがらみを気にせず発言できるんです。でも、さっきも言ったように、オリンピックでの“挫折”を機に人間として成長したい、生活者としての人生をもっと大切にしたいという気持ちが大きくなってきました。今後はこれまでのように発言しなくなっていくかもしれませんよ。『え、そんな騒動があったの?』なんてとぼけたりして。いやいや、冗談です(笑)」

■アジカンのジャケットは「仕事」ではない

2002年にインディーズから発売(後にメジャーで再発)された初の正式音源「崩壊アンプリファー」から続くアジカンとの他に類を見ない関係性も、中村さんのキャリアを語る上で欠かすことはできない。最初はアジカンが20人ほどの客前でプレイしていた時代に、神戸のライブハウスでファンから中村さんのポストカードを渡されたボーカル・ギターの後藤正文さん(ゴッチ)がその絵を気に入り、ジャケットを依頼したのが始まりという。

「『続ける』っていうのは実はとても難しいことです。CDジャケットで1人のイラストレーターを使い続けるなんて、特にそう。僕の絵って大体記号が決まっていて、こういう方法を採れば“中村佑介風”に描ける、みたいなノウハウもあるくらい固定されたもの。客層はどうしたって狭まってしまいますよね。でもやっぱり続けること自体を僕が面白いと感じているのと、あとアジカンは真面目なバンドですから。僕を使うことにメリットがあるんだったら、彼らに協力したいという思いは持っています」

「ゴッチがファーストインプレッションで僕の絵を気に入ってくれたのは本当だと思うんですが、それ以降はおそらく、『続けていく』という関係性を育んでいくことに軸足を置いているんじゃないでしょうか。アジカンが1度も解散せず、ずっと同じバンドメンバーでやっているというのも、そういう覚悟の表れだと思うんです」

「ただ、アジカンにとって僕を使うことのデメリットが大きくなったときは、やめた方がいいんじゃないかと思っていて、4thアルバム『ワールド ワールド ワールド』(2008年)のときに実際そう提案しました。彼らがコアな音楽ファンからなかなか受け入れられなかったのは、僕のジャケットのイメージも原因ではないかと責任の一端を感じていましたから。でも、アジカンはまた次も依頼してくれました。だから僕も『そこまで求めてくれるのなら、このまま心中しようか』と(笑)。アジカンとの仕事は、僕にとってはもう“仕事”という認識ではないですね。頼んでくれる限りは、これからも描き続けます」

■「流行」で終わらないために

最後に、20年間で仕事に対する姿勢や意識にどんな変化があったのかを尋ねてみた。

「10年目くらいから、より幅広い層に作品が届くよう、簡単な色、誰の家にでもあるようなありふれたモチーフを使うようになりました。若い感性で、若い人向けにオシャレな絵を描くのって、意外と容易いことなんです。何故なら自分の感性がそこと同期しているから。イラストレーターの寿命って本当に短くて、5年、10年しかないんですよ。大半は、その人が若いときだけのお客さんにしか受けません。ファッションと同じで、イラストも若い人にコミットすればするほど、流行が過ぎると次の世代にとってはダサいものになってしまいます」

「僕はそうならないように、ずっと気をつけてきました。僕の絵は2000年代にめっちゃ流行ったので、このままだと次の時代が来たら一番ダサい絵柄のヤツになるぞ、絶対そうならへんぞ、という危機感はかなり強かったです。普段は大阪に住んでいるから東京の関係者とコネもつくれないし、そのくせ飲み会も全然行かないし。だからこそ、いつの時代に見ても古さを感じさせないというか、素敵だなと思ってもらえるような、“外面”だけではない絵の普遍的な面白さや感情をきちんと打ち出していく…そういうことを意識して描いてきたつもりです」

「20年前に仕事を始めた頃には考えられなかったことですが、さだまさしさんのCDジャケットや浅田飴のイラストなども担当させていただけるようになりました。それも、僕が獲得してきた強みが実を結んだ結果と言えるかもしれません」

中村さんは挨拶文でこうも書いている。

「しかしずっと目を逸らしていた横顔の少女がふと額縁の外に目をやると、そこにはずっと応援してくださった方たちがいたことに気付きます」「20周年展。これが僕の成人式なのですね。ご参列の皆さま、ほんとうにありがとうございます。これからは後ろ髪をひかれることなく、もっと幅広い絵を描き、みんなにお返ししたい所存です」

◇ ◇

中村佑介展は9月25日まで(月曜休館)。11時から19時。チケットは一般1000円、大学・専門学校生800円、中高生600円、小学生以下無料。グッズ付きチケット(一般1300円など)もある。

(まいどなニュース・黒川 裕生)

ーージャケットを担当する経緯としては、当時インディーズで活動されていたアジカンの後藤正文さん(以下、ゴッチ)と連絡を取り合ってのことだったと思うんですが、担当するにあたって何か戦略などはありましたか? 特に2000年代に台頭したロックバンドは、あの時代特有の空気感を持っていたと思います。そこをイラストに落とし込むというような意識はされていましたか?

イラストやバンドロゴなど全146点が収録されています。 【画像】『PLAY』目次&サンプル画像アジカン・G…

ーー2003年に中村さんのイラストジャケットでCDデビューしたASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)の作品に、私は当時もの凄く衝撃を受けました。アジカンの音楽が持つ文学性を見事に表現していて、レコード会社や広告代理店の戦略と勘違いするほどのものでした。イラストがCDジャケットに起用されること自体は珍しいことではないと思いますが、専属のような扱いでイラストレーター側もアーティスト側も同時に売れるというのは、98年にデビューした音楽デュオ・19のCDジャケットを担当していた326さん以来だと感じました。

(graniph)から、人気イラストレーター・中村佑介とのコラボレーションアイテムが登場。2024年10月29日(火)に発売される。

中村佑介 イラスト KENDRIX A4クリアフォルダ アジカンk

中村:2005年~2006年頃には、最初に応募してイラストを掲載してくれた『季刊エス』の当時の出版社だった飛鳥新社から画集を出すことは決めてたんだけど、画集を出しちゃうと肩書きを一つに決めないといけないじゃない? 画集には載ってないけど、当時『OZmagazine』で四コマを書いたり、大阪芸術大学が発行してる『大学漫画』とか、雑誌でけっこう漫画も描いてたんだよね。それで、なんか諦められなくて。でも、漫画家が出してる画集って、イラストではないのに漫画の人気を利用した二次商品みたいであまり好きじゃなくって。もちろん好きな漫画家先生の画集は持ってるけど、自分としてそれをやるのは嫌だったし、どっちかに肩書きを決めた方がかっこいいと思ってた。だから、ずっと待って貰ってた1冊目の画集を出したタイミングというのは、僕にとって「これからイラストレーターになります」という宣言だった。

中村:「漫画」は“他者の物語を伝える”というモノなのに対して、「イラスト」や「絵画」は見る人それぞれのパーソナリティによって、”それぞれの実体験を想起させる”という比重が大きい。女の子の絵ひとつ取っても、肌を白く塗っているからといって、真っ白な肌の持ち主と感じる人もいれば、自分が思い描く肌の色を想像する人もいる。女の子の横顔が無表情に描かれていたとしても、それは笑ってるのかもしれないし、泣いているのかもしれないと想像することができる。「漫画」だと、そこをセリフやストーリでちゃんと説明付けなきゃいけないけど、「イラスト」はそのまま見る人に投げられるっていうところがすごく楽しかったんだよね。それを良しとする世界に「自分は向いてる」と思ったから。でも先に漫画で50万とか貰えるような賞を取っていたとしたら、そっちに行っちゃってたかもしれないね。


女の子を描くことが苦手だった!?中村佑介の展覧会を徹底レポート

今年で活動18年を迎え、過去最大規模の展覧会「中村佑介展 BEST of YUSUKE NAKAMURA」が、東京ドームシティ内のギャラリーで開催中の人気イラストレーター中村佑介。会場には、約400点を超える原画やラフが展示されており、これまでの中村の仕事がほぼ網羅されている。デジタルではなく、手で描いているという原画の綿密さや、絵に盛り込まれたアイデアの数々をぜひ実際に目にして欲しい。

絵が同期している空間から展覧会は始まります。 アジカンのCDジャケットの原画と完成イラスト

中村:『ロッキング・オン』から当時出てた『コミックH』という雑誌で漫画が入賞したことがあって、掲載はされなかったけど、コメントを編集部から貰ってね。ちょうど同じ頃に『季刊エス』にもイラストが掲載されて、どっちが嬉しかったかっていうと、イラストが載った時の方が嬉しかったんだよね。漫画の技術を向上させてまで頑張って続けようという気力もなくて。でもイラストの方は頑張れた。

【デザイン】アジカンCDジャケットイラストレーター来校! ..

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中村佑介 カレンダー2025 (@kazekissa) / X

「中村佑介20周年展」はイラストレーター・中村佑介の活動20周年を記念した巡回展で、東京・東京ドームシティ Gallery AaMoにて2023年1月9日まで開催中。展覧会では中村がこれまで携わってきた作品のほぼすべてが並び、完成イラストはもちろん、着色前の線画(原画)やアイデアスケッチなど500点以上が展示されている。

グラニフ×中村佑介、アジカンCDジャケットや「四畳半神話大系」イラストの新作コラボウェア.

このほか、中村佑介がグラニフをイメージして描き下ろした作品とブランドロゴをデザインしたスウェットやリバーシブル仕様のダウンマフラー、森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」の文庫版カバーイラストをで表現したソックスなど、全20種類のアイテムが用意されている。

アジカンのCDジャケットを手掛ける中村佑介 過去最大級の展覧会開催

イラストは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのジャケットイラストではお馴染みの、中村佑介があらたに描き下ろし、ニューアルバム『プラネットフォークス』を象徴するようなイラストとなっている。

「中村佑介×アジカン×VR」360度中村佑介のイラストが広がる

ジャケット写真のイラストは、アジカン作品ではお馴染みの、中村佑介の描き下ろしとなっている。

赤川次郎のイラストを手掛けた中村佑介の展覧会|ウォーカープラス

グラニフ×中村佑介 第4弾コラボレーションコレクション
発売日:2024年10月29日(火)
取扱店舗:グラニフ国内店舗、グラニフ公式オンラインストア