創作人形 球体関節人形 オリジナルビスクドール 少年 60cm


ご紹介した写真にはいませんが、ジュモー社のトリステはエミール・ジュモーが彫刻家であるキャリエ・ベルーズに男の子にも女の子にも見える中性的な顔立ちを、とオーダーした説や、モデルがフランス国王アンリ4世の幼少期だという説があります。
お顔の造形は女の子に限るものではないのに何故男の子の作品が少ないのか。調べてみたところ、19世紀のジェンダー論が関係するようです。


〈3才-〉【ドールハウス/人形】自在人形 サッカー少年 赤/緑

この記事をお読みになっている方はきっと、これを書いている私ことスタッフと同様に、ビスクドールに男の子は存在するのかという疑問をお持ちなのだと思います。
結論から申し上げるとアンティークドールの男の子は数が少ないものの現存しています。べべドールに絞るとやはり女の子の姿が多いのですが、ベビーの場合、女の子6:男の子4くらいの割合ではないかと思います。リプロダクトドールも作家が作ろうと思えば作れるのでしょうが、やはりべべドールの男の子はなかなか見かけることがありません。
以下は当ギャラリーが展示しているお人形と、写真集「THE BEAUTIFUL JUMEAU」に掲載されているジュモードール(べべドール)達です。

公益社団法人 日本心理学会の「心理学ってなんだろう」の中に、「男の子が車を好み、女の子が人形を好むのはなぜ?」という記事があります。回答者の相良順子氏によると大きく二つの説明方法があり、一つは男女における物への興味の示し方やホルモンなどの生物的な差、もう一つは「男らしい」「女らしい」という周囲の大人の働きかけであり、この二つは複合的に子どもに影響を与えていると述べています。(もちろん子どもの行動傾向は個人差が大きいのですべてこれに当てはまるわけではありません)
今回のビスクドールの男の子が少ないという問題を考えると、前者はともかく後者は大いに関係しそうです。

アイシードール ブライス 男の子 boy 可動ボディ 1/6ドール カスタムドール ICY 着せ替え ..

18世紀のヨーロッパでは啓蒙思想家のルソーによる「子どもの発見」により、それまで弱く・物わかりの悪い存在「小さな大人」であった子どもが、「子どもは子ども」と大きく認識が変わっていくこととなります。
それに伴い初等教育が発展していくのですが、ビスクドールもまたその教育に役立てるものという扱いとなっていきます。
フランスのビスクドール工房の一つにユレーがあるのですが、レオポルド・ユレーの娘アデレイドは人形が子どもの教育に役立つと主張し、良質な人形制作に力を入れたとあります。
ユレーの作品を検索したところ、お人形単体以外に、たくさんの衣装やボネ、アクセサリーをセットにして販売されているものを見かけました。1890年に製作をやめるまで、月に100体ほどしかビスクドールを制作をしなかったと書籍で読んだことがあるので、もしかしたらすべてのリソースをお人形に注ぎ込むのではなく小物、小道具類に分散させていたのかもしれません。
(ユレー工房では、べべドールは娘のアデレイド嬢、小道具類はレオポルド・ユレーが作っていたんだそうです)

スーパードルフィーは「もうひとりのあなた」
「思い」の通りに姿を変える「未完成のお人形」

1999年、世界で初めてドールとフィギュアの美しさを融合した稀有なお人形として京都に誕生いたしました。最大の特徴は服装や髪型だけでなく、手足のパーツや瞳を自由に交換して姿を変えられること。カスタマイズできる球体関節人形として世界中の多くのドール愛好家に愛されています。全てのスーパードルフィーは京都の工房で手作りで制作し、皆様の元へ心を込めてお届けいたします。

少年から青年へと成長していく途中の姿を表現したボディで、しなやかで細身 ..

書籍かどなたかのブログか忘れてしまったのですが、ビスクドールの説明としてお裁縫やお世話を学ぶ子ども用のおもちゃというものを見たことがあります。
これまで散々ビスクドールが玩具用の人形の役割を担ったと書いてきましたが、現代のリカちゃんやバービー人形のように入手しやすいものではなく、値の張る壊れやすいお人形を子どもに与えられる家は裕福であることは容易に想像がつきます。
前述のアデレイド嬢の主張を踏まえ、ベル・エポックのブルジョワ階級における教育を調べたところ、男女で大きく異なっており、男性は大学受験を前提とした勉強を行うのに対し、女性は結婚を前提とした良き妻、良き母になるための教育が為されていたようです。
お人形を買い与えられた子ども(女の子)は、自分より小さい人形(ひとがた)へドレスを繕ったり、実際に着替えさせたりなどを自発的に、あるいは周囲の勧めに従い行うことで、早いうちから良妻賢母教育の下地を施されていたのかもしれません。
でご紹介したべべ・グルマン(食いしんぼべべ クッキーなどの固い食べものを食べることが出来る)やべべ・テトゥール(小瓶に入ったミルクを飲むことが出来る)は、お人形を愛する人が一緒にお茶を楽しむことを夢想した結果生みだされたのではないかと記載しました。
これが全く的外れですべて間違っているということはないと思うのですが、きっとそれ以外にもかのお人形が作られた意図や理由があり、その一つに子どもに他者のお世話をさせるという当時のブルジョワ階級の子どもを取り巻く環境(思惑)があったのかもしれません。

ユレーの作品を調べる中で興味深い記事を見つけました。
谷口奈々恵氏の研究ノート「19世紀フランスの「人形(poupée)」と少女──ジェンダー・ステレオタイプの観点から」中には人形をテーマとする児童文学がいくつか紹介してあったのですが、その一つに現実の母親から娘へ行われる教育が「母から娘へ」「娘から人形へ」「人形から子ども代わりの人形へ」と人形を媒体とした疑似的な母-娘の関係が続いていくことを期待したものがあると記載してありました。
男の子のビスクドールが少ないのはこの母-娘の関係性を当時のブルジョワ階級の大人たちが子どもに求めたからではないかと個人的に思っています。
逆にベビーに男女差が小さいのは乳児は性差がなく、また自分より小さくか弱い生きものであるゆえに無条件にお世話をしなくてはならないと思う心理があるのかもしれません。(この心理とお人形の関係性は後日別の記事で取り上げる予定です)
これはあくまで推論の域を出ず、真実はドレスメーカーが人形工房に出資することが大きかったからだとか、べべドールはファッションドールの系譜であり、その対象が女児であるゆえに親しみやすい同性の姿かたちを多く取っただとかかもしれません。
100年以上前に作られたビスクドールは私たちにその歴史や世俗を話してはくれませんが、書籍などから情報を得てみると、口にはしないだけで彼女たちは実に様々なことを教えてくれているのではないかとこの記事をまとめる中で強く感じました。
考察のような想像のような、なんともつかないコラムとなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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