【Well-Being×笑い】バイリンガル落語家 ダイアン吉日さんに聞く
2011年は私にとってもすごくつらい1年間でした。母が心臓の手術をしたのでイギリスへ帰り、退院したのを見届けて日本に戻ってきた。すぐに震災があり、半年先まで仕事がなくなりました。避難所のボランティアに行ったのは良かったけれど、その後仕事の問い合わせが再開され始めた時に、パソコンをハッキングされて、データが全部消えてしまった。ハッカーが詐欺メールを何千人もの人に送ったため、すごい迷惑をかけてしまいました。その対応で2週間ぐらい何も食べられず寝られませんでした。もうストレスがマックスで笑顔もなくなってしまった時、出会ったのがラフターヨガだった。このヨガには、笑いたくなくても笑えるようにするエクササイズがあり、作り笑いをすることで効果が得られます。インドまで行ってラフターヨガの勉強をして師範になりました。
「楽しい。だから伝えたい」 バイリンガル落語家 ダイアン吉日さん
震災後、仕事がキャンセルになっていきなり暇になった。ずっとテレビを見ていたら、ついこの間、落語をやった気仙沼がこんな状態になってすごく胸が痛みました。何かしたい、何ができるかと考えた時、人を笑わせることが大切だと思った。テレビに映る子どもの顔を見たら、誰も笑っていなかった。それを見たら悲しくなりました。子どもは親のストレスも吸収している。だから「Sharing Smiles in Tohoku 」というテーマで、笑顔が見られるようにしたいと思って行きました。風船2000本と着物と派手な衣装を持って、あちこちの避難所でバルーンと落語のショーを行いました。私が帰ってからも遊べるように子どもたちに風船で動物の作り方を教えました。それをやっていて、やっぱり私はこの仕事を選んで良かったと思いました。
それからどんどん落語の問い合わせが来て、初めは5人のグループでやっていたのですが、「ダイアンだけ来てほしい」「講演会もやってほしい」という話が来るようになった。一人の仕事が増えて、やっぱり自分で着物を着られるようにならなあかんな、と。それで着付け教室に行ったのです。着物が自分で着られるようになったら、また楽しくなって。今では着物のコレクションが340枚以上(笑)。
ダイアン吉日さんの誕生日、年齢、干支、出身地や名前の読み方などの情報です。
私は子どもの時からほんまに恥ずかしがりだった。知らない人の前や学校では声が出なかった。先生に指名されると、いつも緊張して吐きそうになりました。今は人前で落語を演じて笑ってもらえることがとても楽しい。
落語の道場に入って古典落語や創作落語を習いました。小噺を作ってみんなの前で発表したら、面白いと言われてすっかりはまってしまった(笑)。初めてワッハ上方という300人ぐらいのホールで英語落語を演じた時はドキドキしたけれど、お客様の反応がすっごい楽しかった。笑ってる笑ってる、またやりたいと思いました。
ダイアン吉日 / 英国人落語家 落語で日本文化を世界に広める[後編]
私の友だちが桂枝雀師匠の英語の先生だった。それで英語落語の落語会をするから、「お茶子をしませんか」と紹介されたのがきっかけです。日本へ来て6年目。それまで落語は見たこともなかった。日本語もあまりわからなかったから理解できなかった。初めて枝雀師匠の英語落語を見た時「これはすごいな、ストーリーテラーだ」と思ったんです。ストーリーテリングは子どもの時、めっちゃ好きでした。本を読んだり物語を聞いて想像を膨らませるのが大好きだったので、落語を見た時に懐かしい感じがしました。「イマジネーションだけで旅ができるのはすごいな、面白いな」と思った。鳥肌が立った。その時の演目が『時うどん』。見たこともなかったけど想像できたんです。
まず、最初に習ったのが陶芸です。私はもともとデザイナーで、子どもの時からアクセサリーや服を作るのが好きだった。だからまず日本のモノづくりにはまりました。日本では、折り紙とか風呂敷とか、ものを作るチャンスが多い。しかも紙一枚、布一枚で形のあるものを創る。そういうイマジネーションを刺激するモノに魅かれました。生け花もそう。花をいっぱい使うイギリスのフラワーアレンジメントに対し、日本の生け花はシンプル。数本しか入っていなくても、大きなインパクトがある。茶室も設えはシンプルだけど、道具や御点前の所作が美しく深みがあります。
Diane Orrett INTERVIEW ダイアン吉日 落語家
ロンドンでグラフィックデザイナーとしと働いていたが、
世界中を旅したいと決心し、バックパッカーをしながら
1990 年に日本にたどり着く。
英語落語の先駆者、故桂枝雀氏の「お茶子」を務めたことをきっ
かけに落語と出会い、1998 年自ら初舞台を踏む。
今までに 60 ケ国以上を旅した体験談や、日本に来た時の驚き、文化の違いなどユーモアあふれるトークを交えての講演会も好評。
バルーンアーティストとしての一面も持ち、
「笑い」で世界を繋ぐ懸け橋となるべく国内外で活動を広げる。
このことは、落語とセットでやっている講演会でよく言っています。「やりたいことがあるなら、とりあえずチャレンジしてみて」と。チャレンジすることを怖がらないで、自分に自信を持つことが大事。間違うことは怖くない、誰でも間違いや失敗をするけど、そこで諦めて終わるか、もうちょっと努力するかで、人生が変わってくる。うまくいくかどうかは、チャレンジしなければわからない。私も初めは落語やバルーンアートができるとは思わなかった。
バックパッカーの旅で訪れた大阪で日本文化に魅了され、日本に暮らして早30年というイギリス生まれの女流落語家、ダイアン吉日(きちじつ)さん。
イギリス・リバプール出身。世界中を旅したいと決心し、バックパッカーをしながら1990年に日本にたどり着く。英語落語の先駆者、故・桂枝雀氏の「お茶子」をする機会を得て、落語と運命的な出会いを果す。ほんの数ヶ月の滞在のつもりが、すっかり日本文化に魅せられ、今では華道(三先流)の師範、茶道(表千家)の師範、着付けもこなすパワフルパフォーマー。
本日はダイアンなり! ダイアンのガチで!ごめんやす. ラジオ ダイアンのラジオさん. 過去の代表番組, よなよな…(月曜日担当).
■職歴・経歴
ロンドンでグラフィックデザイナーとしと働いていたが、世界中を旅してみたいと一念発起、バックパッカーの旅に出る。1990年、旅の途中で友達に勧められ来日、たちまち華道・茶道・着物などの日本文化に魅了される。1996年、英語落語の先駆者、故桂枝雀氏の落語会で「お茶子」をする機会を得て落語との運命の出会いを果たす。その巧みな話芸とイマジネーションの世界に感銘を受け落語を学び始め、1998年、自ら初舞台を踏む。以来、古典から創作まで様々な工夫をこらして演じ、「わかりやすい落語」と幅広い年代に愛されている。
今までに60ヵ国以上を旅した経験談や、日本に来たときの驚き、文化の違いなどユーモアあふれるトークを交えての講演会も好評。(落語・講演会共に英語・日本語どちらでもOK)また、これまでの日本と海外の文化の懸け橋となる国際的な活動が高く評価され、2013年6月に公益財団法人世界平和研究所において第9回中曽根康弘賞 奨励賞を受賞。
■最近の主な活動実績
2021年 中学校英語教科書 NEW HORIZON 1 へ掲載
2020年 小学校英語教科書 NEW HORIZON Elementary 5 へ掲載
月刊「経団連」8月号 エッセイ記事掲載
テレビ東京「YOUは何しに日本へ?」出演
2020年オリ・パラ大会に向けた多言語対応協議会主催フォーラム」にてオンライン講演
2019年 伊豆大島「大島は地球の学び場 世界と友だちになろう」参加
東京丸の内「はじまる、まるのうちステージ」参加
イギリス North One Televidion 出演
粧業界展望社「月刊 現代粧業界」特集記事
大阪観光局 動画出演
国際観光クルーズ船にて落語公演
中学校道徳教科書 学研「かけがえのないきみだから」へ掲載(2010~2019)
Manabi Japan 特集記事
2018年 神戸新開地喜楽館にて落語会
ポプラ社「聞いてみました!日本にくらす外国人」特集記事
国際観光クルーズ船にて落語公演
2017年 香港にて落語公演
インドにて落語公演
モンベル フレンドフェア出演
国際観光クルーズ船にて落語公演
日本ホテル協会広報誌「HOTEL REVIEW」特集記事
雑誌「ビッグイシュー日本版」特集記事 他
本編では新お題で“柳葉敏郎”登場(?) (カンテレTIMES) 11月23日 10:00 · <ダイアン ..
多感な思春期に入ったばかりの中学生時期は、体の成長に心の成長が追い付かず、「自分とは何か」「自分はどんな風に見られるか」を強く意識し、さまざまな問題を抱えます。そんな子供たちの悩みに寄り添い、アンバランスな子供たちの道し...
ダイアン吉日 プロフィール|講演依頼・講師派遣のシステムブレーン
ロンドンでグラフィックデザイナーとして働いた後、子どものころからの夢だった世界放浪の旅に出る。1990年、旅の途中で友人に勧められ日本へ。たちまち華道・茶道・着物などの日本文化に魅了される。後に華道、茶道の師範取得。1996年、英語落語の先駆者、故・桂枝雀氏の落語会で「お茶子」をする機会を得て落語との運命の出会いを果たす。その巧みな話芸とイマジネーションの世界に感銘を受け落語を学び始め、1998年初舞台を踏む。以来、古典から創作までさまざまな工夫をこらして英語・日本語の両方で国内外で落語を公演。「わかりやすい落語」と幅広い年代に愛されている。また、ツイスト・バルーンを扱うバルーンアーティストとしても活動中。今までに40ヵ国以上を旅した経験談や、日本に来たときの驚き、文化の違いなどユーモアあふれるトークを交えての講演会も積極的に開催。その他、落語、バルーンアート、着物・ゆかたの着付け教室、ラフターヨガ、風呂敷活用術、生け花教室、即興劇などさまざまなワークショップの講師としても活躍中。現在はどこのプロダクションにも所属せず、フリーで活動を行っている。2011年に発生した東日本大震災では被災地で落語やバルーンアートなどのボランティア活動で多くの被災者を励ました。また、これまでの日本と海外の文化の懸け橋となる国際的な活動が高く評価され、2013年6月に公益財団法人世界平和研究所において第9回中曽根康弘賞 奨励賞を受賞。テレビ、新聞、雑誌などメディア出演多数。
ダイアン吉日 | 講演会・セミナーの講師紹介専門会社コーエンプラス
初来日の体験を落語にした創作英語落語「ワンダフル・ジャパン」一席と、日本と外国の文化・風習の違い、驚きなどを関西弁で彼女風におもろしく講演します。
「落語家」の仕事人インタビュー(落語家の仕事内容・落語家になるには)
あと、終わった後にみなさんのアンケートを読むのが楽しみです。「ダイアンの落語はとてもおもしろかった」「勉強になりました」「これからもっと落語を見に行きたい」という感想をもらったとき、特に「日本人なのに生で初めて落語を観ました」というのがうれしい。その人が初めて見たのが私の落語、それはすごいうれしいですよ! 海外公演でも、日本の落語を見たことない人が来てくれて、「すごく楽しかった。また見に行きたい」とか「次はいつ来るの?」とか言われたらすごいうれしい。よかったよかったと思います。
カンニングのDAI安 吉日!2024 ~センパイたちに学ぶ
英国デザイン学校を卒業後、ロンドンでグラフィックデザイナーとして活躍。その後、アルバイトで生計を立てながら世界26カ国を旅した。来日当時はヒッチハイクで日本一周をし、その後13年間日本に滞在している。陶芸、華道、茶道、落語に親しみ、現在は「ダイアン吉日」 という芸名で活躍している。1990年 初来日し大阪へ。1994年 花道免状を取得。翌年、故・桂枝雀のお茶子として活躍。1998年 落語の修行を始める。1999年 アメリカ(シアトル、アトランタ)で英語落語を上演。2000年 大阪・生玉神社で 独演会開催。2001年 NHK「こんにちは日本」「とっておき関西」、スカパーテレビに出演。同年、イギリス(ロンドン)で英語落語上演。2002年 読売テレビ「RAKUGOでGO!」、NHKラジオ国際放送「ウィークエンドスクエア」に出演。同年、茶道免状を取得。1999年からは毎年、大阪・ワッハ上方で開催される「英語落語会」に出演している。最近では、古典落語にも挑戦し、母国イギリスで「サムライ」を演じる。芸名は、「ダイアン・吉日」。
こんにちは!今日はFacebookでこんなイベントを見つけて行ってきました! 「Rakugo
それと落語は男の世界。ネタも男性が書いていたので、登場人物もほとんどが男性。女性は芸者、奥さんくらいでとても少ない。それが物足りなかったし、女性の私が一人で複数の男性を演じ分けるのもすごく難しかった。おじいちゃんとか侍だったら声色や座り方、言葉遣いで演じ分けられるけれど、同じような年齢の人は難しかったですね。演じながら、見る人はちゃんと分かってるかなと不安でした。もっと女性を入れたいと思っていろいろな落語家に相談したら、古典落語なら本当は男性だけど女性に変えていいし、ネタ自体も自由にアレンジしていいんだよと言ってくれたので、楽になったし、演じ方も広がりました。
縁起の良い日 主に縁起が良いとされる日にちの事。主に大安の日がそれに当たるとされている。
国際学部1回生の「ワークショップ」の特別授業として、ダイアン吉日さんの英語落語イベントを開催しました。
ダイアン吉日さんは、日本や世界で活躍するイギリス出身の英語落語家です。バルーンアーティストや、ラフターヨガ講師としても活躍されています。
出身・ゆかり
確かにこれまでいろいろな壁がありました。今から16年前くらい、私が落語を始めたとき、「外国人は日本人の心がわからないから落語は無理」とか「女性は落語ができないからやらない方がいい。生け花とか三味線をやった方がいい」とか、落語の関係者やお客さんなどからネガティブなことを言われたこともありました。私だけじゃなくて他の女性落語家も同じようなことを言われていたようです。